私の青春時代② ~養護学校編~
中学校時代、教室に近づく程呼吸が出来なくなった。
怖くて逃げだすと呼吸は戻った。
なんで前に進めないのか分からない。
教室から離れた場所なら大丈夫だった。
学校に行けないだけじゃなく、レストランもダメ、人の多い所もダメ。
そこに行くと呼吸が出来ない、ソワソワ落ち着かない、逃げ場所を探してしまう、これを誰にも理解されない、永遠に抜け出せない穴に閉じ込められたような気持だった。
自分に甘いとか、すぐ逃げるとか言われ続けて来た。
『理解しようとせんくせに。』
心をどんどん閉ざしてしまい、人と話さない私でした。
私の苦しみを理解してくれる人がいないと、世間に背を向けていました。
そして、高校受験の為に、養護学校に入るという目的の為、
病院の先生に、自分で買った本のこの症状があるからこの病気では?と申告すると、
本当だね!と診断書を書いてくれた。
(先生知らんかったの?)
今までは病名なしで宙ぶらりんだったから、病名をもらってホッとした。
診断書さえあれば入学する権利があるのでここはクリア。
後は教室に入れるかが問題。
見学に行ったら入れた!
ちょっとしんどかったけど、入れた!
よし、ここなら行ける。
そして転入して、私の学年は同い年のRと私だけ。
クラスメイト2人。
あとは小学生がほとんどで、足の不自由な子、言語の不自由な子、知的障害の子、発達障害の子、私の知らない病気の子が沢山いました。
あんまりそういう知識がないだけに、何をしてあげれるかも分からない状態。
なので、いつも通り接する無理解な私でした。
授業は生徒2人の為、分からない所はその場ですぐ聞けるという授業でした。
これは通常級にはないメリットで、みんながいると聞けない事も、聞きたいだけ聞けます。
なので1~3年までの5教科は、1年で終わりました。
私のスピードで出来たので、大嫌いなダラダラした授業じゃないのが一番嬉しかった。
Rは、知的も少し入ってたのか、ゆっくりだったけど、2人を同時進行出来るのも養護学校の良さでした。
授業中、天気ええなぁ~~~とボーっとしてると、
『あ~…、い~…、う~…』と凄く苦しそうな声で言語の練習をしてる声が聞こえてきた。
涙が溢れました。
何で泣くんだろうか。
苦しそうに聞こえるけど、一生懸命前を向いてるような。
声を出す時、苦しそうに顔をいっぱい曲げてくちゃくちゃにしながら出すんですよ。
その一生懸命さ、真っ直ぐさ、困難でも気にせず進む心が苦しかった。
苦しい?
何が苦しいんだ私。
自分が幸せであった事に気づいてしまった事が苦しかった。
自分ではこんなに辛いと思う人生だったのに、自分とその子達の人生を交換したいかと問うと、嫌だと思った。
私は今の自分を選んでしまった。
授業中、恵まれた自分が後ろめたかった。
その子達を馬鹿にしたような気持ちになった。
別に思ってはないけど、そういう事にもなるなと感じた。
恥ずかしかった。
とても若かった。
休み時間、中庭でボーっとしてると、各教室からみんなが集まってくる。
1人でいるはずの私の周りにいつもみんなが集まってくる。
みんな私が怖くないの?
キツイ顔面なのに。
しかも上級生過ぎるのに。
分かってないだけ?
たまに授業中息苦しくなることもあって、それを上手く言えない私に、先生が『ピアノ弾いてくる?感情出せるかもよ。』と言ってくれた。
弾くのもしんどい状況で、もしかしたら楽になるかもしれない、と何でもやってみたくなった。
ていうか、授業中弾いてもいいんだ。
弾くと、また各教室からみんなが集まってきた。
先生まで。
終わって振り返るとめっちゃ人がいた!
え!?
『みんなが聴きたいって言うから私たちもきたわ~。』という先生。
『あれ弾いて~!』と言うみんな。
希望通り弾くと喜ばれた。
トラップ一家物語(ハウス劇場)みたいで感動した。
大好きなマリア先生みたいな自分が信じられなかった。
この学校にいると、今までみたいな余計な事を考えず、自分のままでいられた。
ホッケーとか何かを競う事も、手加減なくやってしまった。
悔しそうなのに手加減できない大人げない最上級生…。
どーしても譲れない。勝たせる事は出来ない。
とても小さい私でした。
ある休み時間、小4の女の子Mちゃんと中庭を歩いていると、隣にMちゃんがいない。
あれ?と後ろを見ると、こけている。
大丈夫~?と近づくと、倒れてうつむいたまま立たない。
え?どーした?立たれへんのか?と聞いても声も出せない。
せんせーーーーーーーーーーーー!!!と中庭から大声で叫ぶと、先生が出て来てくれた。
バタバタした中で、救急車が来て、どいて!と押されながらも動けなかった。
何も出来なかった。
私のせいだ……。
Mちゃんは次の日から学校に来なかった。
長期入院だった。
ますます自分を責めた。
もっとゆっくり歩いていれば良かった…。
そしたら異変に気付けたのに…。
私が早いから急いでこけたんだ…。
Mちゃん担当の先生が、私に声をかけてきた。
『Mちゃんから伝言もらったよ。香織ちゃんは悪くないよって言っといてって。きっと気にしてると思うから。ちょっとした事で骨が折れる病気やから気にせんといてって。』
泣きました。
あんなに辛い中で、私の心配をしてくれてたんだ。
なのに私は、上級生なのに下級生の事を全然考えていなかった。
なんて意地悪なんだろう。
いっつも杖をついて歩いているのに、ゆっくり歩けなかった私の愚かさ。
自分の事ばっかり考えてる意地汚い私。
みんなが私を怒らない事も辛かった。
許されていて、優しくされていた。
私はこんなに悪いのに、優しくされている事に居心地が悪かった。
Mちゃんに謝罪の手紙を書きました。
電話もさせてもらいました。
Mちゃんは電話をただ喜んでくれていた。
全然怒ってなかった。
それからは、周りの動きを見るようなりました。
他の人はどんな様子か。
物質的に不自由さがないか。
気を付ければ見えるものが沢山あった。
先回りして出来る事が増えた。
Rがてんかん発作になる前は、視線が合わずラリッたようになるので、事前に先生に伝える事が出来た。
Rは発作になって30秒放置すると死んでしまうらしい。
絶対死なせないと思った。
でもRは死んでしまった。
卒業してから。
辛いと電話をかけてきたのに、仕事に追われていた私は親身になってあげられなかった。
Rには私しかいなかったのに。
そして自殺してしまいました。
死ぬほど辛かったRの気持ちを考えられなかった自分に、罪悪感が湧きました。
知的障害と体の障害で、歩く事も上手くない女の子がみんなに嫌われていた。
なんで嫌いなのか聞くと、『嘘つきだから。』
障害ある子でも嘘ってつくの?そんな器用な事出来るの?と意外だった。
でも自分の目で確かめるまでは信じられない。
その子と話してみたくなった。
失礼ですが、ただの好奇心です。
話してみると、見た目は障害を持っているのに、中身は普通の人。
何このギャップ!意外過ぎ!
どんな嘘をつくのか楽しみにしていたけど全く出てこない。
聞くまで終われない。
やっとそれっぽいものが出た。
嘘つけるんや!!!
という感動にも似た気持ちが沸いた。
なんて普通なんだ!!!これは大発見!!!
障害持ってると、つい可愛そうに思う心にさせられるけど、あんたほんま普通やな!
勘違いしとったわ~!ごめんな~!
逆に失礼な自分を恥じた。
図に乗るなよ私!
世の中ほんま知らん事ばっか。
世界は広かった。
担任の先生は40前くらいに見えたけど、あの時は自分が若過ぎて老けて見えただけで、今思えば30代後半?(あんまり変わってない)
これまで男子が嫌いだった私は、先生は大人で落ち着いているから話すことが出来た。
国語の先生でオタク気質の為、質問すると色んな事を話してくれた。
私の好奇心が満たされていく。
一緒にいて楽しい気持ちから、中3で初恋をしました。(遅め)
青春を取り戻すかのような恋です。笑
学校が更に楽しくなりました。
そして先生は結婚するらしく、わりと早くその初恋は終わりました。
結婚すると聞いて、急に男に見えだして気持ち悪くなってしまった。←
あんなになついていたのに、喋りかけられるのもキモくなってしまいました。
好きと嫌いは相対性ですね。(五行講座参照)
3年分の勉強を終え、よく1年でここまでやったと褒めてもらいました。
自分でも信じられない。
夢中でやってきたけど、本気出せばなんだって出来る気がした。
高校は私立の普通科音楽コース。
推薦で入りました。
実技は誰よりも自信があったので、そこはピアノの先生から高校の先生へ、上手い事話してもらっていて、音楽の才能は信用されていました。
そして合格!*(^o^)/*
人生の普通科へ行ける!*(^o^)/*
特殊コースは終わり!*(^o^)/*
と思えたけど、そうではなかった。
でも、高校生に無事なれるという事だけで幸せでした。
養護学校にいると、テキストでは出来ない勉強が沢山出来ました。
人生で本当に大切な事を教えてもらえた。
私は誰よりも豊かな学生生活を送ったのかもしれない。
だから自分の子供を支援級に入れたかった。
私の意志は固かった。
ゆうきにはこうやってのんび生きて欲しかった。
あの辛さは私しか分かってあげられない。
普通級も体験させて、本人と話合って決めたので、満足しています。
社会的には劣等感のある学歴、養護学校。
ゆうき君の将来どーすんの?ってたまに言われる。
そんなもん知らんよ。
でも今はこれがベスト。
なーんも考えないまま、目の前の問題をこなしてい行くだけの作業です。
この問題はいつか上手く行くようになってるんだろうと信じています。
根拠はなーし。
次回、高校編へ続く…
それではまた~🖖🏻