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阿瀬井 香織 〜鏡のブログ〜

命には終わりがある。魂は時空を超えて受け継いでいる。今の私は過去の私の希望。阿瀬井香織、もう一つのブログ。

私の青春時代

夏休みが明け、福井県の学校へ。

制服がまだ届いてなくて、1人だけ私服は目立つから、制服が届くまで休んでいた。

 

大阪人は、転校生ってだけで休み時間取り合いのように転校生の所へ行き、質問攻めになる。

転校生と遊びたくて、みんなが遊ぶ約束をする。

とにかく人気者。

きっと私もそうなるんだと思っていた休み時間。

 

シ―――――――――ン・・・。

だーーーれも来ん。

 

というか、休み時間みんなわりと静か。

ガチャついた雰囲気はそんなになく、大人びた空間にどうしていいか分からなかった。

 

私はただ座っているだけ。

移動教室だというのに、誰も教えてくれない。

聞いてないけど、転校生にはどんどん声かけるってもんじゃぁないのかい?

まあいいよ。更に帰りたいよ。

 

勉強もみんな凄くて、ほとんどの人がそろばんを習っている。

今何級?とか、習い事の話が多い。

福井ではそろばんが流行ってるのか。

友達が出来るわけなく、寂しい生活が何か月か続いた。

 

休みの日に電話がなるようになった。

隣のクラスの男子からだ。

『キャッチボールせん?』

『は?嫌。』

 クラスの男子。

『遊ぼ。』

『え、嫌。』

 

女子からの誘いが来ない。

クラスの女子は真面目という印象。

とてもじゃないけど私とは違い過ぎる。

無理だ。

場違いという感覚を痛いほど味わう。

休みの日も家にいる事が多くなった。

 

すっかり忘れていたけど、小2から母親の付き合っていた男が居候するようになり、

母親不在の時に暴力を受けるようになっていた。

ご飯は私がいると邪魔だからと、自分の部屋で食べるようになり、2年生~毎日1人で食べていた。

 

何か変だとは思ったけど、

特に拒むわけでもなくそのまま何年もそのままでいた。

 

福井に来てもそのままだったけど、2階建ての為、1階と2階で生活は完全に分かれていた。

 

その家には、若い衆と呼ばれる高校中退者からおっさん達数名が同居していて、母親は、《ねえさん》と呼ばれていた。

付き合っている男は《にいさん》やら《親っさん》やら呼ばれていて、誰もがヘコヘコしていた。

私は《お嬢》と呼ばれていた。

 

私の洗濯物は、洗濯機から勝手に出されたり、こんなパンツ履いてるねんなと笑われたり、お風呂も勝手に開けられたりと、プライベートのない家だった。

けっこーな頻度で母親がどやされている。

母親がこっそり泣いているのを見て、声はかけられなかったけど、可愛そうで可愛そうで私の方が涙が止まらなかった。

 

小6の10月、妹が生まれた。

そいつの子だ。

再婚はしていないので、籍は入れていない。

妹はすごく大事にされていた。

私は家で嫌われていたので、触るな、とか、ばい菌が移るとか、同じ部屋すら入れてもらえなかった。

妹と母親と男は、3人の部屋で生活していて、鍵がかかっていた。

私は用があればノックして入口で対応された。

中には入れてもらえない。

 

寂しかった。

なんで親なのにこんなひどい事するんだろうと思っていた。

私は広い部屋、電話、テレビ、ベット、全て揃った部屋を与えられ、小学生のわりに贅沢な部屋ではあった。

こんなものいらなかった。

一緒にいて欲しかった。

 

6年生の秋、塾で急に気分が悪くなった。

頭に血が上って気持ち悪くなり、トイレに行った。

何も出ない。でも顔が熱い。熱くて苦しい。

洗面所の水で顔を濡らした。

激しい動悸がするままそこに座っていた。

先生が見にきてくれたけど、上手く説明出来なかった。

それから毎日訳の分からない症状は続いた。

 

学校に行っても、家にいても、定期的に息が出来なくなる。

動悸が激しくなり、苦しさでえづく。

怖くて怖くて仕方なかった。

そのままの状態で楽しくない生活は過ぎ、卒業式。

卒業式すら体調が悪くて保健室で寝ていた。

 

なんでこうなったんだろう。

今頃大阪のみんなは感動的な卒業式をしているのに、私はそんな大切な日さえ普通に過ごす事が許されないのか。

この人生が嫌になった。

 

中学校入学。

なんの希望もないまま奴隷のように通うものの、やっぱり体がしんどい。

母親が夜のバイトに行くようになり、妹のミルクは私があげていた。

数時間置きに目覚ましをかけて飲ませ、ゲップが出るまで抱いているという生活を、夜だけのはずが、母親が昼もバイトを始めたので、学校を休んでやっていた。

中学校入学から夏休みになる頃、体は、もっとおかしくなっていた。

 

体が絶対変だ。

母親に体が変だから病院に連れて行って欲しいと言っても、

『風邪やろ。寝とけば治る。』

と言って連れて行ってもらえなかった。

そのまま何週間も過ぎた。

熱も出てきて、歩く事も出来ない。

四つん這いになりながら母親の元へ行き、涙を流しながら、

お願い…ほんまに苦しいねん…病院連れてって…

と頼んだが、大袈裟と言って連れて行ってもらえなかった。

 

どうやったら信じてもらえるんだ…。

息が出来ないし、ずっと気持ち悪いし、熱もずっと下がらない。

今日は特別気持ち悪いな…と思いながらいつの間にか寝ていた。

 

夜中急に目が覚めて血を吐いた。

なにこれ怖い。

量は少ないものの、恐怖で動悸が止まらない。

立って起き上がる力もない。

助けを呼べない。大きな声も出ない。

恐怖の中、朝が来るまで待っていた。

 

朝、母親が部屋から出てきた時に、出来る限りの声で呼んだ。

『血吐いてん!』

これならさすがに信じてくれると思った。

『は?吐いたらええやん。』

と言って下に行ってしまった。

 

嘘やろ……。

もうあかんわ。多分私死ぬわ。

 

泣けてきた。

こんな終わり方ってある?

この若さで病死?

何をしに生まれた?

生まれた意味あんの?

死んだらちょっとは泣いてくれる?

いても邪魔もの扱いで、愛してもらっているようにも思えない。

ご飯も作ってもらえなくなっていた。

食べられなくて、ほとんど残していたから。

残り物を食べて、毎日過ごしていた。

 

死んだらお母さん楽になるかな…。

はぁ……。

 

こんなん嫌!もー嫌!

どーせ死ぬんやったら言いたい事思いっきし言うとかなスッキリ死なれへんわ!

という事で、四つん這いで呼吸のタイミングをみながら、かなりの時間をかけて下へ行き、母親にすがり付いて泣きながら言った。

 

お願い!病院連れてって!苦しい!息ができひんねん!お願い!

 

咳き込みながら、えづきながら、断られても服を掴んで離さなかった。

 

『あんた変なんちゃう!頭おかしいわ!』

そーや。おかしいねん。

頭も体も全部おかしいねん!

 

『分かった!だから離して!うっとーしい!』

絶対やな!絶対行くな!?行けへんかもしれんから、このまま用意すんの見るまで離されへん!

『しつこい子やわ!』

 

やっと病院に行けた。

おじいちゃん先生の個人病院…。

 

違う。これじゃない。

こういう展開になるとは…。

こうなったら仕方ない。

出来る限りの苦しさを表現した。

母親が病院に連れてってくれなかった事も話した。

ここで風邪やと言われたら、ほらみい!とちゃんとした検査をしてもらえなくなる。

お願い先生、ちゃんと診て…。

 

必死だった。

死にたくなかったもん。

 

紹介状を書いてくれて、やっと大きい病院へ行けた。

待ち時間座っていることが出来ないので、横になっていた。

だらしないと言われて起こそうとされるけど、起きる力がない。

こいつに何を話してもダメだ。

体力を溜める方に集中しよう。

呼ばれたら行かないといけないから。

 

そしてやっと呼ばれてまずは問診。

どういう流れか、点滴をする事になり、手の甲に針を刺される時、

やっと助かるんだ・・と安心し、気を失ってしまった。

 

目が覚めると臨時のベットで寝ていて、母親が隣にいた。

『私倒れたん?』

『うん。』

『心配せんかったん?』

『別に。』

『こんなに苦しいのに、全然分かってくれへんかってんで?』

と言いながら悲しくて泣けてきた。

『お母さんやのにひどいわ。』

『しゃーないやん。そんなん知らんかってんから。』

こいつほんま…喋るんじゃなかったわ…。

 

診察質へ入り、即入院と言われ、

『嘘ですよね?大した事ないですよね?』と笑いながら聞く母親。

肺炎ですよ。このまま入院してもらいます。

『……はい。』

嫌なんかい。

 

やっと治る希望が出てきた。

小6の秋からこの症状に悩まされていたから、やっと元気に戻れるんだ。

うれしい。

夏休みは全て入院生活だった。

 

病院だというのに、いっこーに良くならない。

1日何度も発作みたいなものに襲われて、息が出来ない何時間が過ぎる。

体重もみるみる減ってガリガリになっていた。

 

誰に何を言っても通じない。

看護婦さんも先生も、この苦しさを分かろうともしてくれない。

子供の言う事に真剣に耳を貸す大人はいなかった。

そしてこのまま退院の日が告げられた。

 

『待って、まだ喉の所になんか詰まって苦しいんです。検査してください。』

 

しても何にも見つからず、それはここじゃなく、心療内科がある病院で診てもらうよう、紹介状をもらった。

 

またかよ……。

 

この世の中はなんて生きづらいんだ。

病院って病気治せる訳じゃないのか。

治せるものって限られてるんだ。

ちっとも良くならないのに退院。

そしてまた新しい病院で診察。入院。退院。

 

何やってんだろうな。

外はこんなに晴れてるのに。

私って普通に生きる事さえ出来ないのか。

これからの人生どうなるんだろう。

 

親とも分かり合えず、先生にも分かってもらえず、友達もおらず、

美味しくご飯を食べる事も出来ないし、義務教育すら行ってない。

 

中学生って恋とかするって漫画で読んだのに、そういう幸せみたいなものが、私の人生になさ過ぎる。

悲しい。

このまま一生治らないのかな…。

 

そんな中、発作はひどくなっていた。

常に点滴をしていて、トイレに行くにも立ちくらみで牛歩でしか進めない。

発作が起きたら、筋肉注射でお尻や腕に鎮静剤を打ってもらう毎日。

何錠飲んでたか分からない程の薬。

本当におかしかった。全部おかしかった。

 

過呼吸の発作が特にひどく、1日何度も何度も繰り返していた。

大人が誰もいない家で、1人でヒーヒーのたうち回っていた。

薬も規定外飲んだ。

病院に電話して苦しいと言ったら、救急車を呼ぼうか?と言われた。

 

『お母さんが怒ると思うからいいです。』

と断った。

『でも今そんなに苦しいんでしょう!』

『そうやけど…運ばれたって知ったら、怒ってこれから病院に連れて行ってもらえんかも知れんから…このまま電話だけしてて欲しい…。』と頼んで、ハァハァ発作のまま意識が飛んでいた。呼ばれた声で気がついたら大丈夫そうだったから電話を切った。

 

寝る前に、このまま死んで明日生きてないかもしれない。という怖さもあって、

毎晩今日まで生きてきた感謝を、思いつく限りの神様、人、動物にして寝ていた。

 

今日もなんとか生きれました。ありがとうございました。

出来れば明日も生きていたい。

悪いことはもうしませんから、どうか明日も生きれますように。

祈りながら毎晩泣いていた。

 

退院しても体調は変わらず、ずっと家にいた。学校へは行っていない。

出席日数分は保健室や空いてる教室でただ座っていた。

みんなの声が楽しそうだった。

声だけ聴いていた。

私がここにいる事を誰も知らないんだろうな。

はぁ・・。

 

こんな人生にしたあいつを許せなかった。

あの男さえいなければ、あのまま幸せだった。

こいつさえいなくなれば、母親の気持ちは私には戻るんじゃないか。

 

恨んでいた。

殺したかった。

台所から包丁を持って、昼寝しているあいつを殺そうとした。

寝る前の祈りの宣言はここでは消えていた。

ドアを開けて部屋に入ると足がつまづいて音を立ててしまった。

 

バレた。

 

包丁を見て『なんやそれ』と起き上がり、すぐ取られてしまった。

相手は本物のヤクザだ。

若い衆は指がない人ばかり。

『やってみぃや』と私に先に手を挙げた。

力で勝てる訳なかった。

『私を殺してよ!!!!』

と言ったけど、髪の毛を引っ張られたまま引きづり回された。

 

あいつはショックで家出した。

母親は私のせいだと責めた。

悲しむ母親が可哀想で、あいつに謝って、帰って来て下さいと手紙で頼んだ。

私がいなくなれば良かったんだと思った。

 

中学2年の真ん中辺りで、このままでは高校へ行けないという問題が出た。

もう行かなくていいと思った。

生きてるだけで必死だったから。

私に高校なんて幸せそうな響き、どーせ無理なんだと思った。

望むと叶わない時に絶望して泣き崩れる。

もーいーや。どーでもいい。

 

諦めた私にありえない話が来た。

養護学校は、ほぼマンツーマンで授業受けれるらしい。

 

なんだって?

マンツーマンなら教室に入る時、過呼吸にもなりにくいし、なっても誰もいないなら迷惑かけない。

しかも勉強を自分のペースで教えてくれるなら、取り返しがつくかもしれない。

行きたい。

 

また希望を抱いてしまった。

でもこれが最後。

もう私は死んだも同然。

失うものなんかない。

失敗してもいい。

やり直したい!

 

でも入るには条件があるらしい。

診断書がないといけない。

入る理由がいる。

 

病院で頭がどれだけ狂っているかアピールした。

変なものが見えるとか、感情的になるとか、発狂しそうな私を演出しつつ訴えた。

情緒不安定、自律神経失調症、その称号で養護学校に入る条件はクリアした。

 

中学校3年から、養護学校に通うことになった。

ここに来て、あり得ないけど完璧なシナリオだった。

 

 

 

 

続く。