私の幼少時代①
3歳。両親が離婚。
この頃から極貧生活が始まった。
家で傘を作る母親を凄いと感動し、保育園で自慢したら母親に怒られた。
内職だから恥ずかしいって。
その時はビンボーだと知らなかった。
保育園の転園が3回。
友達が出来たと思えばまた転園。
新しい保育園では、必ず意地悪な洗礼があった。
それで泣く事はなかった。
無反応だった。
嫌だとは思ってた。
顔や態度に出ることはなかった。
大人には可愛げがないと言われるし、友達も特にいない。
好いてくれる子もいたけど、
あーそーぼ『いや。』
と断るのも早かった。
家では一人っ子でいつも一人。
その頃の母親は男の人と遊んでいて、かまってもらうことはあまりなかった。
よくある家庭環境だった。
小学校に上がり、私は乱暴になった。
今でいうストレスかな。
運動場の遊具で並んでる人を、お構いなしに割り込む、
鉄棒から落ちた友達を大笑いして怒られる、
同級生の男との喧嘩でバットで相手の顔面を殴る、ベランダからおちょくってきた奴の家まで走って行き、そこの親を無視して上がり、怒鳴りに行く、ボコボコにどつきまくるという、とにかく乱暴的な人だった。
それでも頭は良かった。
変に勉強が出来たし、芸術も賞とか取れるし、運動神経も良かった。
誰も私に文句は言わなかった。
小1~2年の間、ほとんどシカトされていた。
こんなにヤバいんだから、そりゃあそう。
何かいい所なかったかな~と思い出すと、みんなが嫌ってるクラスメイトと一緒にいた。
その子がどんだけ普通でどんだけ臭くないか(臭いといじめられていた)、会話する人に話していた。
あと、優しかった。
思いやりは強かったから、迷子の子の母親を探したり、それで自分が迷子になったりという部分もあった。
小3で、なぜか友達が急に増えた。
実は前から喋りたかってん。とみんな言っていた。
信じられなかった。
なんだよ。
みんな私の事めっちゃ好きなんだね。
その当時、交換日記が流行っていて、他のクラスの子も含めて7冊頼まれていた。
私って親友やんな?と言葉で確かめる人も続出。
人気者だった。
小5の夏休み、急に引っ越す事になった。
母親の彼氏が引っ越すからだ。
なんでそんな理由で、と思った。
いちおー嫌だと言ってはみたけど、どーせ言っても変わらんだろうと思っていた。
みんなには黙っていた。
お別れ会をされるのは嫌だった。
泣き崩れてしまうから…。
そして立ち直れなくなるのが分かった。
だってみんなが大好きだったから。
みんなと離れるなんて、絶対嫌だったから。
みんなの前で泣くなんて、かっちょ悪くて見せられなかった。
1番仲良くしていた友達1人だけ話す事にして、教室のカーテンが縛ってある中でカミングアウトした。
ビックリしてた。
かおりちゃがいなくなったら誰と仲良くすればいいん…⁉︎と泣いてくれた。
私も泣いた。
先生に、『もうお別れしたし、夏休み終わったらみんなに引っ越した事言うといてな。』と言い、
『ほんまにそれでええんか?』と心配そうに聞いてくれる先生に、泣くのを堪えて、『ええねん。』と言って帰った。
夏休みは兵庫のおばあちゃんちで過ごしていた。
夏休みが終わる頃、縁もゆかりもない福井県に引っ越していた。
田んぼしかない、コンビニもない所に来て、タイムスリップしたように思えた。
もう本当にみんなに会えないんだと思うと涙が止まらなかった。
寂しかった。
でももう帰れない。
みんなに会いたい。
会いたくて苦しい。
どうしようもない胸のモヤモヤをただ耐えるしかできなくて、
離れたくなかった…離れたくなかった…と小さい声で言いながら泣いた。
そしてここから波乱万丈の人生が始まった。
続く。